ルイスのサッカー考察ブログ

サッカーに関することを、戦術を中心に取り上げ、考察します。たまに、サッカー以外のことも綴ります。

ハリルホジッチ解任について


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こんにちは、ルイスです。

今回はハリルホジッチ解任について考察します。

ハリルホジッチ解任の概要はもうご存知でしょうから、この解任の裏にはどのようなカラクリが存在するのかを考えていきましょう。

日本サッカー協会田嶋幸三会長は、ハリルホジッチ解任の原因は、「選手との信頼関係が薄れた」ことだといったそうです。この発言からカラクリを暴いていきます。

「選手との信頼関係が薄れた」とは、一体何を意味するのでしょうか。ハリルホジッチは会見で、選手とのコミュニケーションは十分だったと述べています。であるからこそ、解任の理由に納得できず、「真実を探しに来た」という発言があったのでしょう。両者の主張は相反しています。なぜでしょうか。私はここに、「信頼関係」という言葉が意味する内容の、「食い違い」が存在するのではないかと思います。

食い違いが生じたのは、当たり前ですが、両者の考える「信頼関係」が異なるからです。この「信頼関係」というのは、試合結果云々ではなく、いわば日本代表というチームを作り上げる「プロセス」における話ですから、食い違いの原因もチーム作りのプロセスにあるはずです。私はこの食い違いに関して、ハリルホジッチと日本代表選手(特に本田圭佑を中心とする、ハリルホジッチと確執のあった選手たち)の、「チーム作り観」が異なっていたということに原因があると思います。

「チーム作り観」とは、このようにしてチームを作り上げていくべきだ、という考えのことです。では、具体的に「チーム作り観」にはどのようなものがあるのでしょうか。また、そもそも「チーム作り」とはなんなのでしょうか。

チーム作りの定義、そしてチーム作りの類型(チーム作り観の種類)を見ていきましょう。

一般に、チーム作りというのは「型作り」と言ってもいいほどで、このような方針で攻撃しよう、守備しよう(他にもたくさんあります)、という思想をチームで共有することです。代表選手のインタビューでよく耳にする「自分たちのサッカー」というフレーズは、まさにこの「型」のことを言っているわけなんですね。

そのような「型」を作り上げる方法は、大きく分けて二つあります。監督が作るか、選手が作るかです。そして、監督の方はさらに2パターンに分けられます。
結論から言ってしまいますが、今回の解任の原因は、型を作り上げる主体を「監督」であると考えるハリルホジッチと、「選手」であると考える本田圭佑らが衝突した結果、ハリルホジッチと一部の選手に亀裂が生まれ、それを受けた田嶋幸三会長が一部の選手側についたことにあります。
それでは、まずは監督が作る方から見ていきましょう(興味のない方は読み飛ばして頂いても構いません)。

サッカーの監督が型を作り上げる際に用いる手段は、2パターンあります。
一つは、選手の特徴を見極め、それを活かせるように編成するパターン。もう一つは、自分の志向する型に、選手を当てはめていくパターンです。要するに、選手が先か、型が先か、という話ですね。
前者は、シーズン途中に監督が交代した際、新監督がよく用いるであろう手段です。高さがある、突破力がある、クロスの精度が高い、などの選手の特徴を見極め、各選手の特徴が全体としてうまく機能するようにチーム編成します。
後者は、独自のサッカー観を持つ監督がよく用いる手法です。まず、監督の実現したいサッカーのスタイルがあり、そのスタイルにあった選手を起用します。少し悪い言い方になるかもしれませんが、「選手を手段として用いる」という色彩の強い手法というわけです。
実際に行われているチーム作りは、この2パターンを対極に置き、どちらかのパターン、あるいは2パターンの間、に位置付けられるものが大半でしょう。

では、次に選手が型を作る方です。これは特殊なパターンですが、現在の日本代表はこのパターンに位置付けられます。なぜこのパターンに陥ったのかという原因に関する考察もしていきます。

選手は基本的に、チームの型を体現する手段です。グアルディオラ時代のバルセロナで考えると、チームの型である「ポゼッションサッカー」を、広い視野と正確なボールコントロールを持つシャビや、細かいドリブルで敵の包囲網をかいくぐるイニエスタ、メッシがうまく関連して体現するのです。

しかし、選手がこのような「手段」としての枠をはみ出して、チームの型を作り上げる側になることがあります。その選手こそが、「本田圭佑」をはじめとする経験豊富な日本代表選手なのです。
このような選手たちは、「自分たちのサッカー」という表現をよく使います。サッカーのプレーにおいて、自分たちの描く理想の形があるのでしょう。

では、なぜこのような選手が生まれるのかを、クラブチームにおける選手事情と代表における選手事情との違いから考えてみましょう。

クラブチームでは、クラブの欲する選手と、能力を持つ選手が「契約」することで、選手がチームに所属することになります。そのため、クラブの要求に応えられない選手は当然契約を更新されない、あるいは放出されます。このようなクラブと選手の関係は、労働者が企業で働くのと似ています。そこでは、選手はクラブの期待に応えられるように自分の役割を考え、あるいは監督から求められ、フィールドで表現するのです。

しかし、代表の場合はどうでしょうか。代表は、「招集」という形で選手がチームに所属します。また、クラブほど試合が多いわけではなく、選手が周りから判断される機会が少ないので、招集メンバーを変更するハードルが高いのです。例えば、新メンバーが日本代表に招集されるには、①クラブチームで活躍し、②それが監督の目に止まり、あるいは耳に入り、③日本代表に招集され、試合に出場し、④結果を残して監督や国民に認められる、という多くの門を突破しなければならないのです。逆に言うと、一度代表選手として認められてしまえば、上記のようなハードルを超える若手が出てこない限り、長期雇用安泰です。
このような事情が原因で、代表のベテラン選手は「手段」としての自分を忘れ、日本代表は自分が引っ張るのだという強い気持ちに動かされ、そして、「自分たちのサッカー」なるものを志向し始めるのでしょう。しかし、もはやここでいう「自分たち」とは、「日本代表チーム」ではなく、「日本代表に長く活躍してきた我々中心選手」を指しているように思われるのは、私だけでしょうか。

上記のような状況に陥った日本代表メンバーでは、ハリルホジッチとの間に亀裂が生じるのはごく自然なことのように思われます。ハリルホジッチは、選手の特徴に目を向けて様々な可能性を試し、どのような相手に対しても有効なサッカーができるようにチームを編成することを目指していました。そこでは、自分の意見に歯向かう選手は招集外という形で排除し、選手間でのミーティングも禁じたそうですね。おそらくハリルホジッチは、自分の掲げる方針を一部の選手に乱されたくはなかったのでしょう。しかし、これまで長く日本代表を支えてきた選手たちには、いわば代表の中心プレイヤーとしてのアイデンティティーがあり、それを監督にやすやすと傷つけられるのは納得がいかなかったのではないでしょうか。

それでは本題に戻ってまとめます。
これまでの話を考慮すると、ハリルホジッチにとっての「信頼関係」とは、自分(ハリルホジッチ)の考えるサッカーを選手に説明する義務を果たしたか否かであり、その点でいえば自分と選手の信頼関係は薄れていないと思ったことでしょう。ハリルホジッチ流のサッカーを選手に納得してもらえるかどうかという点は論外なのです。
一方、日本代表のベテラン勢は、自分たち、つまり日本代表をこれまで支えてきたメンバーにフィットするサッカーを志向してくれるかどうかが「信頼関係」であり、この考えでいうと、ハリルホジッチのやり方は「信頼できない」ということになるのでしょう。田嶋幸三会長の判断も、そのような立場を支持するものだと思われます。

日本代表はどちらの選択肢をとるべきだったのでしょうか。
ベテラン勢の気持ちも分かりますが、最終予選で新しい選手が躍動し、結果を残したことを考慮すると、ハリルホジッチを解任するという判断には合理性が欠けているように私は感じます。
また、解任の「仕方」についても、日本らしくないというか、無礼千万でしたね。残念です。
西野朗新体制がW杯でどのようなサッカーを展開するつもりなのか、そのことに関する考察は、また別の機会に。
ご精読、ありがとうございました。